手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

目印のない荒野

目印のない荒野、そういうところを歩く時だけではない。私たちがこの人生を歩んでいくときに、自分の感覚だけを頼りとして生きていきますと、自分では気のつかないずれを、いつのまにか重ねてしまうのです。そして気がついたら、とんでもないところにきてしまっているということが免れない。 ところが、荒野の中に一本でも動かない木があれば、その木を目印にして、右へ逸れた、左へ外れていると、その木というものを目印として自分の今のあり方が知らされてくる。そういうことがございます。木を見て、常に自分の位置を、あるいは自分の歩き方を正されていく。ある意味で、教えというのは、そういう目印という意味を一つ持つのでしょう。教えを聞くことにおいて、自分のあり方がどうなっているのかがわかるのです。自分があたりまえと思っていることが、教えの前に座るときに、もう一度問い返されるのです。そういうことが非常に大事なわけです。
【真宗門徒の生活に自信を持とう 宮城 顗 法蔵館 P64、P65より】

 

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自分まかせ、はどうもうまくいかない、ですね。やはり、阿弥陀さまにおまかせ、に限ります。目印は南無阿弥陀仏ですね。といいましても、すでに南無阿弥陀仏のはたらきの中で生かされているのでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

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