平成8年3月16日、母やよがリウマチによる多臓器不全のため亡くなった。享年81。
数年前から、関節の変形で歩行ができなくなって入院していた。週の半ばと週末には、母を見にいくことが習慣になっていた。
老衰も加わり、モルヒネと輸血もそろそろ限界にきたと聞かされながら半年が経っていた。3月14日、昼食をとっている職場へ、病院から危篤を知らせる電話が入った。
「また来たか、もう来るなと言うて置いたがに。おらの年取った妹たちも来たし、お前ら子供も、また来てくれた。何度も危篤や、それ臨終やと、県境を越えて氷見の病気まで駆け付けてくれて、生きている者の方が、おらよりも大変やなあ」「前から話して置いたとおり、臨終やからと騒ぐことないぞ。平生業成(へいせいごうじょう)やぞ。お文さんにあるやろ。おらは、もうお念仏のお陰で正定聚(しょうじょうじゅ)や。だからして、臨終に良いも悪いもない。ひとの臨終をとやかく言うものでないぞ。
おらの臨終は阿弥陀さまにまかせたがや。さあ早よう家へ帰って休んでくれ、運転に気をつけてな」
―「なむあみだ、なむあみだ・・・・・・」母はこう言い終えると念仏を唱えながら、目を閉じた。春の入日が窓に映えているせいか、顔色がよい。つぶやく念仏の声には、まだ張りがある。昏睡というより熟睡に見える。―
「俊、お前、まだおったかがか。あ、この前、会いたい者がおったら呼ぼうかと言うてくれたが、それはいらぬぞ。会う縁にある者にはもう会うた。倶会一処(くえいっしょ)と言うぞ。会う縁にある者にはまた会える。ほんとうに誰も呼ばないでくれ。どうでもよいがやが葬式の事や。葬式は供養ではないぞ。それは娑婆の習いやから、見栄を張らんでな、つつましいがにな」
「これは大事なことやが、お念仏や。お念仏は人それぞれが戴くもの、無理せんでいい。お前もご縁はいただいているのやからな。お念仏がひとりでに湧いてきて、それに押されて親さまの懐にとぼしこむ(注:金沢弁でつきすすむの意)、そんな心になるものや。おらは、そうして阿弥陀さまにすっかりまかせてしもうたがや」
母の言に従い14日の深夜に病院を出た。16日の朝、病院にいた妹から、6時39分に往ったとの電話があった。
母の念仏を耳にしながら、所用で妹が枕辺を離れた間のことであったと。
母の臨終には誰も立ち会っていない。 高田 俊彦(金沢市 76歳)
【うらやましい死に方 五木寛之[編]文藝春秋 P107〜P109より】
こういう死に様、いいですね。
とはいえ、死に様がどうであれ、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされて旅立つ人生ほど素晴らしいことはありません〜。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏