手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

現生の利益と現世の利益

私たちは、美しい花を見ると、その花の美しさをほめるけれども、花を咲かせている根っこということはすこしも思わないことがあります。現世の利益というのは、美しく咲いている花です。それに対して現生の利益というのは、美しい花を咲かせている根っこでしょう。真宗は現世の利益など問題にしない、そういう話ではないのです。現世の利益を求めないような者は、人間ではないでしょう。私たちは、やはり人間としての幸せを求めるから、いろいろな現実の問題とたたかうことがあるでしょう。ただ問題は、私たちは花だけを摘み取ろうとすることです。花だけを摘み取れば、花はすぐしおれてしまいます。つまり、現世の利益というものだけを求めると、それは必ずしおれてしまう。花だけを摘み取れば花はしおれるというのは、言い換えれば、美しい花を見た感激というか、よろこびがおとろえてしまうということです。それは根っこがあってはじめて本当によろこべるのです。
【〝このことひとつ〟という歩み 唯信鈔に聞く 宮城 顗 法蔵館 P75より】

 

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「現世の利益」を求めることは、生きていくうえで大事なことです。それは、生きる原動力となるからです。生きる糧ともいえましょう。さらに掘り下げて、(生きる)その先に死が待っている、ということを意識して生きていく(現生の利益を意識して生きていく)ことはより充実した人生を送るうえで大事なことではないでしょうか。
「現生の利益」をえた生活(生死問題が解決している生活)は大安心です。生死問題という人として生きている根本的な問題が解決されていますから。ここでいう、美しい花だけでなく、その「根っこ」を意識した生活をしていきたいものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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