手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

弥陀の光かがやく

はてしなく澄めるみ空に我を呼ぶみ声を尊く仰ぎてぞ聞く
さらばなり苔の下にてわれ待たむ大和島根に花薫るとき
今ははや心にかかる雲もなし心豊かに西へぞ急ぐ
日も月も蛍の光さながら行く手に弥陀の光かがやく

これらの歌では、「はてしなく空は澄んで」おり、「大和島根」には桜が咲き薫っており、空には「雲も」なく、「心豊かに」行く先には、西方浄土の「光かがやく」弥陀の「我を呼ぶ声」が聞こえ、「月日が蛍の光」のように照らしているというのである。(第一種の歌とはうらはらに、)後悔もなくすべてが弥陀の手に委ねられてしまっているのだ。
【辞世の歌 松村雄二 笠間書院 P90より】
※苔の下:墓の下、草葉の陰  ※大和島根:日本国

 

【閲歴:東條英機】
明治27年(1884)、東京に生まれる。陸軍大将。関東軍参謀を経てカミソリ東條の異名を取った。昭和16年10月、東條内閣を組閣、陸軍大臣を兼ね、同年12月8日、大東亜戦争の引き金を引いた。19年7月、戦局の不利により辞職。敗戦後、東京裁判で死刑の判決を受け、23年12月23日午前零時1分、東京巣鴨留置所にて絞首刑に処された。享年64。
【同書 P88より】

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東條英機の辞世の歌として採り挙げられています。2番目の歌(さらばなり苔のの下にて~)の意味はちょっとわかりませんが、ほかの3つの歌は「阿弥陀さまにおまかせ状態」という心境から生まれた歌である、と推察できます。死を目前に控えた状況で、こういう心境にさせる『南無阿弥陀仏のはたらき』の凄さといいますか素晴らしさが窺えます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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出典:「月明りにて」より 
http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im1485830