手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「この今」を考える

 人生は短い。
 と、どうしてもやはり思いますね。平均寿命は80と言われていますが、年をとってからできることは当然若い頃より制限されますし、ましてやその年まで生きるかどうかの保証はどこにもないわけです。ひょっとしたら、明日、心臓発作で死ぬかもしれない。
 縁起でもない。
 と、普通はやはり思いますよね。しかし、よく考えてみると、いやよく考えるなどしなくても、生きている限り人が死ぬのは当たり前で、この当たり前を当たり前として認識しているかどうかで、人の人生観は全然違ったものになるようです。今のここに死はあるからこそ今のここの生はあるのだと思えば、人生は長いとか短いとか言いようもなくなるはずだからです。だって、いつだって、「この今」しかないのだから。「この今」しかないと気づけば、先のことをあれこれ悩んで苦しむことはなくなるようです。悩みや苦しみというのは、人生には先があるとする錯覚的時間認識が作り出す、まあ一種の気の迷いみたいなものでしょう。未来への不安、もしくは過去への後悔、いずれも時間認識の勘違いです。だって、未来や過去を悩んだり苦しんだりしているのは、まさしくこの現在ではないですか。
【人生は愉快だ 池田晶子 毎日新聞社 P11,P12より】



過去を追うな( Don’t look back on the past. )
未来を願うな( Don’t anticipate the future. )
過去はすでに捨てられた( The past has already ended. )
未来はまだやってこない( The future has not come yet. )
ただ今日なすべきことを熱心になせ(Only do your best in what you should do today.)
と御教示されたお釈迦さまのお言葉が響きます。
私が生きているのは「この今」であって、この先ではありません。
この先、生きている保証はなにひとつないのです。
つまり、「この今」しかない、ということです。「この今」を大事にしたいものです。
阿弥陀さまの救いは『この今』であります。そのことに深い安堵を覚えます。
今日も南無阿弥陀仏




The Ant and the Grasshopper  (アリとキリギリス)

http://d.hatena.ne.jp/miko415/20151006
※お慈悲のままに より