手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

すでに、私のために道が用意されている

法然上人や親鸞聖人のおこころのうえで味わわさせていただきますと、この道を進むしかないという私の決心の以前に、すでに白道があったことに、気づかされます。
二河白道」のたとえで説かれる火の河は、いかり(瞋恚)のこころです。水の河は、むさぼり(貧欲)のこころです。いかりとむさぼりという深い深い悪(煩悩)をかかえて、日々を送っている私です。だからこそ、ご縁にあわせていただこうと思うのも、この私のです。
しかし、私の決心のはるか以前から「すでに道あり」と、私のために道が用意されていたのでした。このことを、私たちはよくよくよろこばせていただくということが、大事なことではないでしょうか。
【宿縁P25 浅井成海 (探究社)より】


【手品師コメント】
「すでに、私のために道が用意されている」ということは、
現在、このただいまも、阿弥陀さまは、わたしに信心を受けとってくださいよ!と、はたらき続けておられるということなんですね。
だから、わたしは、阿弥陀さまのご本願を疑いなく信じさせて頂くだけなんです。
なので、「こうしたら〜、あーしたら〜」といった自分のはからいは、必要ありません。
すでに、わたくしのために、道は用意されているのですから。