手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

必ずといっても

世間で使われている「必ず」という言葉は、本当の意味では必ずではありません。
現実、結構、裏切られています(笑)
かつて、「インディアン 嘘つかない!」という言葉が流行りましたが、
インディアンも人間ですのでウソをつきます。


それに対して
阿弥陀さまには、ウソという言葉はありません。
「仏語に虚妄なし」といわれている通りです。


阿弥陀さまが、「必ず」救う!といわれているのです。
しつこいようですが、
阿弥陀さまが」そういわれているのです。
ですので、100%救われるのです。
「必ず」という言葉は、誰が発するかによって全く意味が違ってきます。

ほんとかな〜

阿弥陀仏の本願を
ほんとかな〜と計らったり
仏さんはウソをつかないといわれても
ほんとかな〜と疑ったり
自分に向いていてはダメなんですね。
遅かれ早かれ、その疑い、計らいはとられちゃうんですけど。
このいまに越したことはないですよね。


阿弥陀さまと私と距離があると思っている方があるかと思いますが、
まったく距離はありません。
阿弥陀さまは、このいまもピッタリとひとりひとりに寄り添っておられるのです。
その証拠が南無阿弥陀仏なのですね。
南無阿弥陀仏は、このいまも、ひとりひとりにはたらきかけて下さっています。


ということは、
このいま、阿弥陀さまにおまかせさせて頂くだけ、ただそれだけなのです。

如来は慈愛をもってつねに私に接したもう

如来は私を忘れたもうことはありません。
私はいくら如来をきらいましても、如来は私に向かって近く接してくださるのです。
私はにげたい、にげたいと、あがきましても如来は近づきたいと思われますもので、私はどうすることもできません。
如来がただ思っていなさるだけならば、実際私ははなれることもできましょうが、如来は、その思いと、その行動とが一つなものですから、私がはなれたいと思います時には、すでに私の上に近づいてきておられたのです。
私がはなれようとするとき、如来はすでに近づいてしまっておられます。私のはなれようとするすがたが、即座に如来に近づくすがたとなってしまうのです。
如来はその慈愛によっていままでみじんも私たちを手ばなしされたことがないのであります。
【真実の信心を獲る 加茂仰順和上隋聞記 平田聞思[編者] 探究社 P98,99 加茂仰順和上の法語より】


【手品師コメント】
阿弥陀さまは、このいまもひとりひとりにピッタリ寄り添って、
「必ず救いますよ!」と常にはたらきかけて下さっているのですね。
まことにありがたいことです。なむあみだぶつ。