手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

如来は慈愛をもってつねに私に接したもう

如来は私を忘れたもうことはありません。
私はいくら如来をきらいましても、如来は私に向かって近く接してくださるのです。
私はにげたい、にげたいと、あがきましても如来は近づきたいと思われますもので、私はどうすることもできません。
如来がただ思っていなさるだけならば、実際私ははなれることもできましょうが、如来は、その思いと、その行動とが一つなものですから、私がはなれたいと思います時には、すでに私の上に近づいてきておられたのです。
私がはなれようとするとき、如来はすでに近づいてしまっておられます。私のはなれようとするすがたが、即座に如来に近づくすがたとなってしまうのです。
如来はその慈愛によっていままでみじんも私たちを手ばなしされたことがないのであります。
【真実の信心を獲る 加茂仰順和上隋聞記 平田聞思[編者] 探究社 P98,99 加茂仰順和上の法語より】


【手品師コメント】
阿弥陀さまは、このいまもひとりひとりにピッタリ寄り添って、
「必ず救いますよ!」と常にはたらきかけて下さっているのですね。
まことにありがたいことです。なむあみだぶつ。