他人の喜びを私の喜びとし、他人の悲しみを私の悲しみとするのが仏さまです。まずはそこからかけ離れた自分に気づくことで、至らない私のあり方というものが気になってくるでしょう。そういう至らない私であっても、仏さまのまねごとをすることで、少しずつ自身の生き方がつくり変えられていくのです。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息 (や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(『ブッダの真理のことば 感興のことば』10頁)
人との関係性を「しらがみ」とみるか、「つながり」とみるかで世の中の見え方は大きく違ってきます。他人の過失を見ず、自分の行いを見つめ、整えていくことで、さまざまな人の間にあって、非難にも、また称賛にも動じずにいられるでしょう。完全にはできなくともお互いにそういう心持ちであれば、「しがらみ」は「つながり」と見えてくるに違いありません。
そもそも人はすべてのものとの関係性の中に生きています。つながり合って生きていることのすばらしさに思いが至らないのは、大変残念なことです。
【仏の教え 大谷光淳 幻冬舎 P92、P93より】
暗澹たる日々が続きます。新型コロナ禍の猛威は、差別発言など人の醜い心を浮き彫りにさせています。他人の悲しみを私の悲しみとする仏さま。とりわけ、新型コロナ禍を生きていく上で、少しでも「仏さまの まねごと」をさせていただく、ことの意義は大きいです。仏さまの教えは、実生活上の指針にもなるのです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏