手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「いま生きている」 という事実

 遺言状は別にして、日付の確認できる親鸞聖人の最期の手紙は、文応元年(1260)11月13日付け、常陸(ひたち)の乗信房(じょうしんぼう)宛ての書簡です。88歳の冬でした。


なによりも、去年(こぞ)・今年、老若男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常(しょうじむじょう)のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。


という、ただならぬお言葉ではじまっています。
 「去年」というのは、正元(しょうげん)元年ですから、わずか1年で元号が変わっています。この文応もわずか1年足らずで、翌2年2月には弘長(こうちょう)元年に改元されています。これは天変地異が頻繁に起こったからです。実は前々年の正嘉(しょうか)2年(1258)、関東には大地震が起こり、鎌倉を中心に関東一円は地震と大津波のために壊滅的な被害を受けました。そして翌年の正元元年から文応元年にかけて全国的な大飢饉と疫病の流行で、無数の餓死者を出したことが、『吾妻鏡』や、『立正安国論』などで知ることができます。そんななかで、常陸の奥郡(おうぐん)に道場を構えていた乗信房の門徒にも、震災で罹災したり、疫病や飢饉で死ぬ者が多く出たようです。門徒たちの惨事を目の当たりにして、乗信房は堪らなくなり、京都の聖人にその状況を訴えずにはおれなかったのでしょう。これはそれに対する返信なのです。
 はじめに、「多くの方が亡くなられたことは誠に哀れなことです。しかし、命あるものが、何時(いつ)どのような縁に触れて臨終を迎えるか知れないという《生死無常の道理》は、既に如来が、詳しくお説きになっていることです。心を取り乱してはなりません」とズバリと言い切られています。
 「死なないものが死んだのではない。死すべきものが死んだのだから、驚くべきことではない」というのです。本当に驚くべきことは、いつ死んでも不思議でない自分が、いま生きているという事実です。その「いのち」の不思議に気づくならば、はたして自分は与えられたこの「いのち」に対する責任を果たしているかと、自らに聞き質さねばなりません。そして生きることの意味と、「いのち」の行方をしっかりと聞き定めるならば、その惨憺(さんたん)たる現実が、尊いことを知らせてくれる機縁に転換するでしょう。
親鸞聖人の生涯 梯 實圓 法蔵館 P187〜P189より】



「(わたしが)いま生きている」という事実(現実)をじっくり考えることは非常に大事なことです。
ここで、
『「いのち」の行方をしっかりと聞き定める』とありますが、
言い換えますと、
『(わたしが)阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきに気付く』ということです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



現実逃避