2025-08-01から1ヶ月間の記事一覧
親鸞聖人は法然聖人の『選択集』の冒頭の文について『尊号真像銘文』に、 「南無阿弥陀仏往生之業念仏為本」といふは、安養(あんにょう)浄土の往生の正因(しょういん)は念仏を本とすと申す御(み)ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にか…
いくら他力の信心を頂いていても、四六時中ずっと阿弥陀仏のことばかり思い続けているということはありません。私たちの心は、あれを考えたり、これを考えたり、いつも飛び回っていて、阿弥陀仏のことなど意識の外にあることも多いのですが、なにかのきっか…
江戸時代のある先輩は、「聖道の学問は蟻が高山に登るようなものであり。浄土の学問は月が出るのを待つあいだの手遊びである」と言いました。自力聖道の学問は蟻が高い山の頂上を目指して登るように、ほんの僅かの一歩一歩の歩みの積み重ねです。高い山の頂…
東奥日報 2025年8月9日(土)付 地元紙で、結構大きな記事として取り上げられました。記録として、残しておきます。コメントは差し控えます。 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏
阿弥陀仏の救いは、このままの救いといわれます。つまり、何らかの意味で、このように変わったならば救うというものではなく、変わることのできない者こそ救おうという願いだから変わる必要はないということをそのままの救いというのです。もちろん、変わら…
道綽禅師の『安楽集』では、輪廻するあり方の中で、人や天(神々)の世界が客間にたとえられ、地獄・餓鬼・畜生の世界が居間にたとえられています。一軒の家で、居間は常に使用する部屋ですが、客間は来客があるときに使用する部屋です。一年間の使用時間を…