手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

生きること ※投稿文

   新年を迎え1月になると必ず思い出す言葉がある。「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」がそれである。これは、トンチで有名な禅僧、一休の句である。正月はめでたいというが、裏を返せば、また一つ歳をとり死に近づくのであるから、めでたくない日でもある、という意味だ。

 一休の逸話で次のようなことがあったと聞く。めでたい筈の正月に、人の頭蓋骨を刺した竹竿を手に持ち、「門松は冥土の旅の一里塚 ~」と唱えながら町中を練り歩いたというのだ。まさに驚愕のエピソードである。正月といえども無常には変わりない。「生きること」についてよくよく考えることの大切さを訴えたのであろう。

 さて、私はというと、来月誕生日を迎え、また一つ歳をとる。既にオヤジ期を生きている身としては素直に喜べない。自分の誕生日を心から喜べる心境になるにはどうすればよいか。先の一休の句をオーバーラップさせながら、あれこれ考えているこの頃である。

 

f:id:tarou310:20190131162240j:plain

 

築地の阿弥陀さま

  本日、築地の阿弥陀さま(築地本願寺)と対面してきました。私の落ち着く場です。東京に来た際は必ず挨拶に伺います。

  今回の聴聞会場(常例布教)は、新しくできた多目的ルームでした。聞法ホールもよいですが、この会場も新鮮でよかったです。

 それにしましても、全く雪がない東京が羨ましいです。あと、しばらく、発想の転換で雪国の冬を過ごします。

(新幹線🚄の中で)

f:id:tarou310:20190127094833j:plain

 

 

気づくこと

(一般的に)目の前に現金が落ちているにもかかわらず、拾わない人はいるでしょうか。もし、そういう方がいるとしますと、そのことに気づいていないのでしょう。何事においても、「気づく」ということは、生きていく上でとても大事なことだと思います。南無阿弥陀仏のはたらきにおいては尚更です。阿弥陀さまの存在に気づかないで送る人生はただ虚しいだけです。

 (新幹線🚄の中で)