手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

無常の風

 人間の生涯は両親から一本のローソクをもらったようなものである。マッチで点火したことがこの世に生を受けたことである。点っていることは自らの生命は減少しつつあるのである。
 英語に、“living is dying”という言葉がある。生きつつあることはそのまま死につつあると全く一つになっているのである。しかも生れると同時に風の吹いているところに点っているのである。この風は「白骨の御文章」にある如く、「無常の風」といわれる。それ故、点火すると同時に消える場合もあるし、三分の一ぐらいのところで消えることもある。最後まで点っていることは稀である。いわゆる天寿を全うして消える人は余りに少ない。
                       (略)
 次の瞬間も保証されていないものの中に現在生きているのである。しかも人間は生への限りない執着の壁を恣意的に作り、すべて「オレだけは大丈夫」というごまかしの壁で死は彼方の世界においているのである。
【安芸門徒 稲城選恵 探究社 P25、P26より】



南無阿弥陀仏のひとは、「無常の風」が浄土に生まれる縁になります。
「無常の風」の捉え方が180度かわります。
ここでいうローソクの火が途中で消えたとしても案じるなかれ、です。
不慮の事故で亡くなろうが、病気で亡くなろうが、志し半ばで亡くなろうが、
死に様は全く関係ありません。
でも、健康で長生きしたい、のはいうまでもありません。
今日もなむあみだぶつ