自力の信心の否定が他力の信心であり、無疑といわれる。 無疑は不疑とは異なる。不疑は明日の天気の如く、未現前のものに対する場合である。 しかるに無疑は「往生のさだまりたる証拠」の現在完了を場とする。ここには自らの概念思辯のはたらく余地はない。 …
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。