手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

本当の浄土真宗

 死ぬということをごまかさずに見つめることが仏法の入り口です。
本当の仏法、如来様のお慈悲の言葉が聞こえたら、死ぬといういちばん嫌だと思っていたことが嫌でなくなる。死んでいくだけの人生だと今まで思っていたのが、お浄土の命に生まれていく人生であったと知らされる
 私は今まで死ぬためにこの人生に来たように思っていたけれど、そうではなくて、本当のいのちの世界、如来様のお浄土に生まれていく私の人生であったのだ。このことをわからせてもらうための人生であったと気付いた人、この人が浄土真宗の信心をいただいた方、本当の浄土真宗のご門徒です。
 だからいくら、うちは昔から門徒だとか言っても、この信心というものをいただけなかったら、これは本当の浄土真宗ではありません。
 浄土真宗は形式や格好じゃないのです。
【さよならはない世界  大峯 顕 百華苑 P5より】
 


「知らされる」「わからせてもらう」ということですので、私はあくまでも受け手です。
主語は阿弥陀さまです。
「私は」「自分は」のはからいは、阿弥陀さまの「必ず救うぞ!」の仰せに反発しています。
まことに申し訳ないことです。


「気付く」ということは、
すでに、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきは、我々ひとりひとりに届いているということです。
ですので、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のおはたらきを気付かせていただくだけです。


>信心というものをいただけなかったら、これは本当の浄土真宗ではありません
このいま、阿弥陀さまから信心を賜らなかったら、また迷いの世界に逆戻りです。
「信心」肝要です!!!