手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

無理がない

 如来様に御無理はない。心のにごる凡夫に心をすませよと言われたら御無理である。善根功徳の出来ぬものに善根功徳をせよと言われたら御無理である。今はそうでない。罪はいかほど深くとも、また罪を言えば十悪五逆、障を言えば五障三従のそれには心をばかくべからず。生れ地性のあのままぢやと仰せられる。何の無理もない。
 しかし、『信ぜよ』と言われる。あれが無理ではないか。それは凡夫の小さい智慧で考えると無理のやうなが、これもまたあなたの方ではお手の届いた御教化であります。子供の使いではない、何もかもよく解った、極楽浄土から釈迦如来、つづいて七高僧、代わる代わるえらいお方が出られて、南無阿弥陀仏の御本願をお伝え下さる。
 私は小さい智慧ではからわず、ただはいとお請けさせて貰えば何の難しいこともないのであります。
【高松悟峰和上語録 上巻 洗心書房 P195,P196より】
※一部、旧文字を変換


高松悟峰 和上
1866年(慶應2年) 安芸中野随泉寺に生れる
1898年(明治31年) 西向寺(広島市)に入る
1906年明治39年真宗学寮(広島市)を創設する
1920年大正9年) 勧学を拝受する
1939年(昭和14年) 示寂される(74歳)



「必ず救うぞ!」の仰せに、
「はい、おまかせします!」
ただそれだけです。
いたって、シンプルかつ自然の流れであります。