手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

生かされている

自分で生きているように思いますが、実は、生かされているのですね。
この時代、この環境の中に生まれてきたのは、自分が意識してのことではありません。
気が付いたら、この両親のもと、日本人として、男として・・・生まれてきたのです。
決して、自分から選び好んで生まれてきたのではありません。
なにか、大きなおはたらきがあってのことなのでしょう。


生きるにしても、到底、自分ひとりでは生きてゆくことはできません。
太陽・空気・水・大地といった自然の恩恵、お魚・お肉等の生き物の犠牲の恩恵、周りの人の恩恵、科学・教育・政治・経済といった恩恵など、挙げればきりがありません。


なぜ、わたしは、この今、人間として生きているのでしょうか。
答えは、いたって明解です。
南無阿弥陀仏の身とさせていただくためなのです。
あ〜だ。こ〜だ。と計らう時間はもったいないです。
そんな理屈をこねる前に、
この今、南無阿弥陀仏の身とさせていただくことが先決です。
すでに、南無阿弥陀仏は用意されています。
ですので、ただ南無阿弥陀仏とお念仏させていただくだけなのです。