手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

名利に人師をこのむなり

親鸞の権威!これこそが、親鸞がもっとも怖れていた同朋集団の陥穽である。親鸞がなぜ関東から離れて京都へ戻ってきたのか、研究者は種々の理由をあげているが、そのなかの一つに、「人師」とは師匠、指導者のことだが、「人師」崇拝とは、人々が師匠に対して絶対的な崇敬の念をいだくことである。それは各自の心のなかでのひそかな思いにとどまっているかぎり、さほど大きな問題にはならない。しかし、それが特定の人物をまるで生き仏、生き神のように扱うようになると、さまざまな病弊が生じる。なによりも、念仏者としての平等が保たれなくなり、特定の「人師」が、同朋たちの「支配者」となり、信心の正邪さえ判断するようになる。あるいは、「人師」がいうことならば、なんでもそれに従うという、およそ没主体的な妄動が生じる。


親鸞は、関東布教のなかで、次第に自身が「人師」に祭り上げられてくる危険を感じるようになったのではないか。専修念仏の教えより親鸞そのものが崇敬されるという事態の発生である。だからこそ、親鸞は『正像末和讃』の最後に、


是非(ぜひ)しらず邪正(じゃしょう)もわかぬ
このみなり
小慈小悲もなけれども
名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむなり

正像末和讃』 註釈版聖典 P622


(物事の是非も知らず邪正も分からないわが身である。慈悲といってもこれっぽちもない身だのに、名声や利欲のために人の師匠となりたがる。なんとも浅ましいわが身であることか)と記さざるをえなかったのであろう。
親鸞からの手紙 阿満利麿 ちくま学芸文庫 P125~P127より】



どの時代でも、名声や利欲のために人の師匠となりたがる人は非常に多いですね。
それに対し、親鸞聖人は「なんとも浅ましいわが身であるなあ〜」と自戒し悲しまれています。
当たり前ですが、「教祖さまと崇拝される方」とは大きく違います。