手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

いま、人間に生まれ、仏教に出会っている

「念仏大意」では、およそ次のようにのべている。


われわれは、このたびはじめて人間に生れたのではない。「世々生々」、つまりはるかな昔から現代を経て、はるかな未来にわたる長い生命のサイクルのなかで、幾度となく生れ変わり死に変わりをしてきた。そしてその間に、如来の教化や菩薩のすすめにも出会っていたにちがいがない。ただ、信心がなかったばかりに、仏となることができなかったにすぎない。過去現在未来の仏たちや、この世のほかの十方の世界にいます菩薩たちも、思えばすべて昔は友人なのであった。釈迦とも阿弥陀仏とも、お互いに父母師弟の間柄になったこともあるにちがいないのだ。仏も、先の世でその時の仏に出会い、その教えにしたがって仏になられたのである。われらは、信心定まらないがゆえに、今もなお迷いの生死にとどまっている。


法然の真意は、このような六道輪廻をくりかえすなかで、今人間に生れ、そして仏教に出会っているのであるから、今こそ仏教を信じて仏になることを願おうではないか、という勧めにあることはいうまでもない。
法然の衝撃 阿満 利麿 ちくま文芸文庫 P221より】



この人間界、ある意味、乗換駅です。
死んで何処へ行くのか。今生は大きな別れ道です。
父母兄弟・家族をはじめ、ひとときの縁ですね。
南無阿弥陀仏のおはたらきを気付かせていただき、ともに、浄土に生まれさせて頂きたいものです。
そして、衆生済度の仲間入り。いまからワクワクします〜
南無阿弥陀仏」いつ聞くの? 
今でしょ!