手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

仙突和尚の話

 仙突和尚が臨終のときに、お弟子方が遺言を求めた。そうしたら仙突和尚が「死にとうない」と書いたというのです。弟子たちは、遺言が死にとうないでは困るので、もう一度遺言を求めた。すると仙突和尚が、それならばと言ってそのうえに「ほんまに、ほんまに」と書いた。「ほんまに、ほんまに死にとうない」と書かれて、仙突和尚が死なれたと書かれてあります。
 私たちが泣いたり、もがいたり、わめいたり、そういうことで消えてなくなるような仏教なら、なんの力にもならないのでしょう。私たちがどれだけ迷おうと、どれだけわめこうと、私をつつんであるものが仏法なのです。
 つまり仏法というものは、迷悟、迷い悟りを超えている。迷い悟りは人間にあることです。仏法は、迷っているものも悟っているものも、等しく内につつんでいるもの。ただ、その内にあるということを、ほんとうにうなずいたのが悟ったということでしょう。迷っているというのは、仏法のうちにあって、自分の思いにこもっている。自分の思いにしがみついているのが迷いなのです。
 悟った人にだけ仏法があるのではない。仏法は、迷い悟りを超えて我々をつつんでいる。私たちがどれだけわめこうと、もだえようと、そのことで消えてなくなるような世界ではない。そういうたしかなものということを、仙突和尚もいいたかったのでしょう。
【地獄と極楽 宮城 邈(みやぎ しずか) 真宗文庫より】



南無阿弥陀仏のはたらきの中に生かされていることの気付きは、いままで、あて力にしていた自分中心の思いや計らいが一転させられます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏 


仙突(せんがい)
[生]寛延3(1750).美濃,南武芸
[没]天保8(1837).10.7. 博多
臨済宗の禅僧画家。農家の出身。法名は義梵,号は仙 突など。
11歳で仏門に入り,寛政1 (1789) 年から博多の聖福寺の住職をつとめ,文化8 (1811) 年同寺虚白院に隠居,天保8 (37) 年再び聖福寺住職となったが同年 88歳で病没。
【ブリタニカ国際大百科事典より】




墨画: 仙突 (江戸時代) 出光美術館より