手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

言葉が語る

なにかを生みだすためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。
混沌とし、ただ蠢(うごめ)くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。
愛も、心も。言葉によって象(かたど)られ、昏(くら)い海から浮かびあがってくる。
舟を編む 三浦しをん 光文社 P213より】
※2012年 本屋大賞 第一位 「舟を編む


 人間というのは、言葉なしには生きられません。生きているということは、言葉によって生きているのです。我々は、言葉の海の中に浮いているのです。言葉は、海の中にいる魚のようなものです。魚は、みな水の中で生きています。陸の上では生きられません。水によって生きているのが魚です。
 我々は、言葉という海の中でしか生きられないのです。あまりにも、言葉は近いところにあるから、言葉が何か分からないのです。想像するに、どんなに賢い魚でも、他の魚、タコやイカ、捕りにくる漁師の舟は見えたりすると思いますが、水は見えないでしょうね。あまりにも近いところにあるからです。
 私達は、毎日毎日、言葉を使っているから、言葉というものがどういうものであるのか、分からないと思います。言葉は、せいぜい、便利な道具だと思っています。
 ところが、阿弥陀さまは私を救うために、本当の言葉になられたのです。南無阿弥陀仏という言葉に。「南無阿弥陀仏の言葉になったら、衆生がお浄土に参ることが分かる」と、阿弥陀さまには分かったのです。だから、南無阿弥陀仏となって、私達に絶えず呼びかけておられます。
 「なまんだぶ」を聞き、「なまんだぶ」をいわせてもらった時に、私は阿弥陀さまと一体になるのです。阿弥陀さまのいのちと私のいのちが一つになるのは、南無阿弥陀仏においてです。
【第24回中原寺文化講演会(2012.10.20)『仏のいのちと私のいのち』 大峯 顕 師より】



舟を編む」を読んでいましたら、「言葉」ということに言及した箇所に目が留まりました。
大峯師の講演内容とオーバーラップします。


※オーバーラップ(overlap)【他動詞、自動詞】
重ねる、重なる
解説(用法、使い分け)
原義は「衣服の垂れ下がりで覆う」。
1.物の一部分を「重ねる」(他動詞用法)、物の一部分が「重なる」(自動詞用法)という意味で使う。
2.考え方の一部分を概念的に「重ねる」(他動詞用法)、考え方の一部分が概念的に「重なる」(自動詞用法)という意味で使う。「考え方に共通点がある」ことを含意する。
【科学技術論文動詞集より】