「教化」とは、けっして僧侶が門徒を「教え導く」という意味ではありません。親鸞聖人において教化とは、聖人自身が如来の教化をたまわることです。したがって教化活動とは、「仏さまの教化にあずかる場を、僧侶も門徒もひとしく共有する営み(活動)」であり、ここに僧伽(さんが)という関係性が開かれてくるのです。
ですから、一番問われているのは、この私の心身に真宗の教えが本当に響いているか否かということです。たしかな響き(自信)は、伝えよう伝えようと力まなくても、自然に伝わっていくのです(教人信)。
【法話のきほん 伊東恵深 法蔵館 P24より】
まずは、私自身です。「私の生死問題」についてじっくり向き合いたいものです。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏