親鸞聖人のよき人、恩師である法然聖人は、
月影のいたらぬ里はなけれども
眺むる人の心にぞすむ
と詠われました。
月の光は、野山や里をくまなく平等に照らしていても、その月をながめる人でなければその美しさは心に伝わらない、という意味です。「月影」は仏さまの光。「ながむる」とはみ教えを聞く「ご聴聞(ちょうもん)」のことです。
親鸞聖人は、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に「『聞(もん)』といふは、衆生(しゅじょう)、仏願(ぶつがん)の生起本末(しょうきほんまつ)を聞(き)きて疑心(ぎしん)あることなし、これを聞(もん)といふなり」(註釈版聖典251ページ)と示されています。
【本願寺新報 2016(平成28)年10月10日号掲載より】
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/min161010.html
夜道を歩いていて、ふと空を見上げると、満点の星空に出くわすことがあります。「なにかのきっかけで、ふと、夜空を見上げる」ありそうで案外ありません。私自身、星空を見たい!と意識しない限り、空を見上げることはそうそうありません。自分の目の前のことしか意識がいっていないからでしょう。
月明かりが眩しいと、自ずと夜空を見上げてしまいます〜。特に、満月の夜は。
月明かりに照らされて
感謝 感謝
いま ここで 私が
南無阿弥陀仏
どこかで 聞いた フレーズです(笑)
仏願の生起本末を聞く