「胸に手ぇ当てて聞いて見よ」は、真宗門徒のみならず世間一般でもよく使われていた言葉だが、最近はあまり耳にしない。
たとえ、世界中の人間を騙しおおせても、自分の本心だけは騙しおおせるものではない。「胸に手を当て」れば、やはりふっと思い当たる後ろめたさや罪が、厚化粧の下にしっかりと隠れている。しかし、それは法を聞いてみなければ見えてこない。それで「聞いて」、わが身を「見よ」と。
よくできた言葉で、特に真宗門徒に多くつかわれてきたこともうなずける。
【門徒ことば 三島清円 法蔵館 P127より】
「自分の胸に手を当てて、自分の心をみてみる」と浅ましい自分の心が見えてきます。体裁を演じる自分、仮面をかぶっている自分。親鸞聖人は、「悪性(あくしょう)さらにやめがたし こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」と自戒されています。仏法を聞いていくと、そんな心が浮き彫りにさせられます。
そんな私を、「無条件で救う」と断言された阿弥陀さま。私は、その阿弥陀さまの南無阿弥陀仏というお言葉(はたらき)に依るしかありませんでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏