手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

しるし

親鸞聖人のお手紙の中には念仏者として生きる立場の具体性について「しるし 」ということがなんどもでてきます。「しるし 」とは見ればわかるものです 。説明を必要としない 。その人の生活する姿勢 、態度を見れば 、その人が何によって生きているのか 。それが明々白々に誰でもがわかることが 「しるし 」です 。そういう念仏者の具体性を親鸞聖人は 「世をいとうしるし 」とか 、「往生をねがうしるし 」というように使っています 。道を求めるとは真理を知識として知ることではなく 、そういう 「しるし 」をあらわす生活の 「かわりめ 」を経験することです 。

【歎異抄に学ぶ 尾畑文正 響流書房より】

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ここで、

『道を求めるとは真理を知識として知ることではなく 、そういう 「しるし 」をあらわす生活の 「かわりめ 」を経験することです。』とあります。

換言しますと、

浄土真宗の教えは、親鸞聖人をはじめとした善知識方の教え(ご著者等)の上辺だけの意味を知るのではなく、そのように言われた本意を汲み取ることが大事である、ということです。つまり、(私が)南無阿弥陀仏のはたらきに気付くことが大事である、ということではないでしょうか。南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされますと、それまでの生活に対する姿勢や態度がかわってきます。劇的に生活態度が変わるということではないと思いますが、徐々に、生き方も変わっていくのでしょう。性格が変わるとか、そんなことではないですが、ものの見方といいますか、捉え方が阿弥陀さま視点になっていくといったらよいでしょうか。つまり、阿弥陀さまはどうみているのか?と、自分というものを客観視して物事を捉えていけるようになっていくということです。それは阿弥陀さまのお育てによる賜物です。信前・信後も変わりなく、阿弥陀さまのお育てに授かっています。

おかげさまで   今日も 南無阿弥陀仏

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