手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

屏風の向こうも明日の天気もわからん者が

 わたしたちの耳は聞きたいことを聞きたいようにしか聞かず、目は見たいものを見たいようにしか見ない。それは、どこまで技を広げても結局は鉢の中の盆栽であるのと同じことだ。そこに知性の限界がある。
 にもかかわらず、そのわずかばかりの知見をもって、屏風の向こうも知れたものと、たかをくくっている。そこに、わたしたちの知性の誤謬(ごびゅう)と無明性(むみょうせい)がある。
 「屏風の向こうも明日の天気もわからん者が」とは、人間の分別性(ふんべつせい)を鋭く指摘する言葉で、明治の能説家(のうぜつか)、七里恒順(しちりこうじゅん)の法話集にもこの言葉が出てくる。
門徒ことば 三島清円 法蔵館 P103より】



この文章を読んでいますと、
わたしの「知性の限界」ということがよく分かります。
ですので、わたしの「知性の限界」を素直に認めたいところですが、なかなか難しいのが現状です。それは、自分に自信があるからでしょう。
わたしの計らいを超越したものにおいては、その超越したものに委ねるしかありません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏