手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

命がある間に (このいま)

人間にはどうしても考えなければならないことがたった一つあるわけです。命がある間に、そのことに思いを致さなければなりません。私を無視したとか、悪口を言ったとか、どうでもよいことを考えていることが多いのではないでしょうか。如来さまに救われていく私だという大事を思わなければなりません。それを思うには、如来さまが力を貸してくださらなければなりません。お念仏は、如来さまの喚び声ですから、それが私に反射して南無阿弥陀仏の声となるのです。向こうが先に喚んでくださっているのであって、こちらからの発信ではありません。向こうから来た声が私に当たると、反射して私の声になります。それが私の口から出る南無阿弥陀仏です。
【かならず煩悩のこほりとけ 大峯 顕 響流書房 より】



阿弥陀さまの喚び声、
つまり、阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらき、に気付かせて頂きたい、ものです。
そのはたらきに気付かされますと、自ずとお念仏(南無阿弥陀仏)がこぼれます。
わたしは、一貫して「受け手」です。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



溶ける氷