手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

葬式仏教が機縁になれば意義がある

 初期の仏教は葬式をやらなかったけれども、それが悪いと言えるかどうかは考える必要がある。今日では世間の人の批判の眼がありまして、葬式仏教ではいけないと言いますが、日本に仏教が残ったのは、またアジアの若干の国々に仏教が残ったのはなぜかと言いますと、通過儀礼と結びついたからなのですね。誕生、結婚、葬式とか人の一生にいろいろな儀式があります。それを宗教学者通過儀礼と呼んでいます。
 この通過儀礼に、初期のインド仏教は社会的に弱かったのです。ところが通過儀礼と結びついている国では仏教が残っています。釈尊の教えをじかに説いているわけではないけれど、葬儀とか法要とかいうものが、心をそちらに向ける機縁になっているということは事実ではないでしょうか。
中村元の仏教入門  中村 元 春秋社 P173より】



現在でも、日本に仏教が残っている要因として、通過儀礼(誕生、結婚、葬式等)と結びついていたから、と考察されています。
残念ながら、浄土真宗の御教えも形骸化されている感が否めません。
通過儀礼を機縁として、南無阿弥陀仏のおはたらきがひとりでも多くのひとに響くことを念じます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏



形骸化(イメージ)