手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

まずやるべきこと (浄土真宗の視点から)

目の前で、人が倒れていたらどうしますか?
まず、救急車を呼んで病院へ搬送させるのが普通です。
目の前で倒れている人を見ながら、
「なぜ、この人は倒れているのだろうか?」といろいろ考えている人はいるでしょうか。
そんなことをしていますと、取り返しのつかない事態に陥ります。


先人(深川倫雄和上)は、
『譬えていえば、ある町へ行くと、お城があって大変高い石垣がある。お城へ登って外を見て、「ああ、いい景色」といえばそれでよろしい。
下へ行ってから石垣を見て、「まあ高い石垣。よく組んだもの」と、暇があるから、この石垣の組み方を見てみようではないか。それがお聴聞。お聖教の勉強。
上に立って、いい景色を眺めさえすればよろしい。だけども、暇があるから、よくもこんな石垣を組んだものだとその石垣の組み方を調べてみては、「ようこそ、ようこそ」というわけです。調べなくとも、景色に変りはない。石垣がどう積んであるかと研究しようがしまいが、石垣の上からの景色に変りはさらさらない。ないけれども、石垣を研究してみればみるほど、「ようこそ、ようこそ」とご恩が知らされる(佛力を談ず 深川倫雄 講話集P117〜P118 永田文昌堂 より)』
と「お城の譬え」で分かり易く教えて下さいます。


まずやるべきことは、
お城へ登って外を見て、「ああ、いい景色」といえる身になることです。
つまり、このいま・ここで・わたしが、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされることです。
救いまでの道程に目を向けている暇なんぞありません。その道程をたしなむのは、南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされてからです。そこに大きな意義があります。
阿弥陀さまの救いに、時間的プロセスはまったく関係ありません。
それはなぜか?
それは、南無阿弥陀仏のはたらきはすでに届いているからです。
もうすでに(南無阿弥陀仏のはたらきは)届いていますので、
南無阿弥陀仏のはたらきに気付かせて頂くか否か、が極めて重要になってきます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏





青森県弘前市の弘前城で天守を支える石垣を約100年ぶりに大改修するため、天守をジャッキで持ち上げて移動させる曳屋(ひきや)作業が本格的に始まった。見守った観光客からは「あっ、動いた、動いた」という声が上がった。
天守は重さ約400トン。1度の作業で15〜30センチ動かすことができ、まず2日で約22メートル移動させる。城のある弘前公園の桜や松への接触を避けるため、2度の方向転換を経て、計約78メートル動かす。
前回の大改修は、明治時代の天守下の石垣崩落を受け、1915(大正4)年に完了した。今回は数百個の石を一つずつ取り外し、組み直す。天守が元の位置に戻るのは2021年秋の予定だ。
【朝日新聞デジタルより】