手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

ただスイッチを押して画面を見る

「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」(『教行信証』信文類『註釈版聖典』二五一頁)というのは、教学上の細かい議論を知っているということではないのです。
たとえば、テレビの画面はスイッチを入れただけですぐに映りますが、内部はびっくりするほど複雑な構造になっています。
「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」というのは、内部の構造を隈なく知るということではなく、ただスイッチを押して画面を見ることです。
信心とは、如来さまがなさることを全部知っているということではありません。何も知らなくてもそのままで助かる。
もし、衆生が救われなかったら自分は仏にならないと誓われて、すでに仏になっていらっしゃるから、私たちは救われるのです。
【歴史の底から 正像末和讃を読む 上 大峯 顯 本願寺出版社 p281,282より】


【手品師コメント】
実は、スイッチを押させて頂くことも、なにもかもすべて阿弥陀さまのおはたらきなんですね。
ですので、わたしは阿弥陀さまにただおまかせです。
なむあみだぶつ。