手品師

浄土真宗の信心を中心に綴ります

現代の私たちのプライド

現代人が 「宿業 」という言葉を拒否するようになった理由も分かる 。つまり 、現代人においては 、自己に対する 「自信 」が肥大化しているのだ 。自らの行動は 、自らの意志で自由にできるという、まさしく 「思い込み 」が広がっていて 、自分の行為に 、わけのわからない 「束縛 」があるとは 、認めがたい 、ということだ 。自分のことは 、自分が一番よく知っているのであり 、自分の意志で決められないことはない、という 「自信 」である 。
もし、うまくゆかないことがあるとすれば、それは、あの人間が邪魔をしているからであり 、そうでなければ 、環境が悪いのだ 。あるいは 、自分の努力が足りないのかもしれない 。それだけのこと 。自分も知らないような過去に 、現在の苦境をもたらした原因があるなど 、とても受け入れられないし 、それは迷信だ 。迷信で非科学的である 、と思われることは、絶対に受け入れることはできない 。これが 、現代の私たちのプライドであり、それが 「宿業 」という言葉を拒否しているのであろう 。
 このような自己への「自信」は、死に方についても、できるだけ苦痛を少なくして安楽に死ねるはずだから、そうしてもらいたい、という要求ともなる。死に方も自分の意志で決めようとするのだ。
【行動する仏教 法然親鸞のおしえを受けつぐ 阿満利麿 筑摩eブックスより】

宿業(しゅくごう)
過去世につくった善悪の業、または善悪の行為の力のこと
浄土真宗辞典より】



わたしの自信やプライドは、確かに、生きていく上では必要です。ただし、南無阿弥陀仏のはたらきに気づかせて頂くという視点からみますとハードルになっているように思います。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏