手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

宗教と道徳の違い

 本願念仏においては、信心が問題となるのであり、善悪は問題とならない、ということがくり返し述べられている。それは、『歎異鈔』を貫く根本テーマだといってよいだろう。別の言葉でいえば、『歎異鈔』は、道徳の書ではなく、宗教の書だということである。にもかかわらず、親鸞に教えを受けた念仏者たちのなかに、本願念仏を道徳の教えと勘違いする人が少なくなかった。なぜか。道徳の教えのほうがわかりやすいからであろう。悪事を避け、善を実践する。言葉のうえでは、まことにわかりやすい。
 だが、これほどわかりやすい道徳ではあるが、その実践がどんなに難しいことか。善に敗れ、悪に絡みとられる人間の哀しさが、やがて宗教の世界に開くのである。それだけではない。いかに善悪のけじめに神経をすり減らせていようが、人生そのもののはかなさ、不条理、虚空に、道徳は答えを出すことはできないのである。そこに宗教の存在意義が生まれてくる。
無宗教からの『歎異鈔』読解 阿満利麿 筑摩eブックスより】



宗教と道徳の違いを明確にする必要があります。とりわけ、浄土真宗の教えにおいては、「信心」が問題となります。悪事を避け、善を実践する教えではない、ということを重々留意しなければなりません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏