空腹状態、いやさらに一歩進めて、飢餓状態で目の前にご馳走がでてきたら、本能的に、それに食いつきます。
「自分から(ご馳走を)取りに行く」という点で、『南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂く』とは大きく違いますが、そういう状況においては、誰がなんと言おうとも、そのご馳走を取りにいきます。
それは、目の前に、ご馳走があるのが分かっているからです。
浄土真宗の視点からいいますと、
すでに、南無阿弥陀仏のおはたらきにつつまれている状況下で、そのおはたらきに気付かせて頂けないことは、まことに勿体ないことです。
そのことを蓮如上人は、御文章三帖目第八通で
「宝の山に入っておいて、空手で帰ってくるようなもの」といわれています。
このいま、南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞かせて頂きたいものです。南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かせて頂くか否かは、とても大事な問題です。
今日もなまんだぶつ