手品師

浄土真宗の信心を中心に綴ります

「ただ今救われて下さい」(AmazonKindle版 著者:宮田秀成 響流書房)



電子書籍の紹介です。
お薦めです!!!


響流書房さんから、電子書籍として上記の本が出ました。
スマートホンやタブレットをお持ちのかたはKidleアプリで読むことが出来ます。
内容は、ブログに書いてきた内容の一部に修正を加えたものです。ご一読下さい。
【安心問答2014-10-25 より】 ※下記、リンク(手品師オススメ)よりお進みください!


内容紹介(Amazon 商品紹介文より)
「疑い晴らすのも、信じさせるのも阿弥陀仏のお力ならば、なぜ今自分は救われていないのでしょうか?」
浄土真宗の信心とはなにか、念仏とはなにか、救いとはなにか。湧き出る疑問を40の問いとして取り上げ、著者は経典や聖教の根拠を一つ一つあげ、決してごまかすことなく丁寧に答えてゆきます。仏法聴聞の友として、繰り返し読みたい好著。
「本願力にあうひとには、南無阿弥陀仏という場が与えられます。必ず往生する浄土もあります。常に呼びかけられる南無阿弥陀仏があります。「自分の目の届くところが世界の全てではない」と目を開いてくださるのが南無阿弥陀仏です。そういう意味で、今の南無阿弥陀仏が私の生きる場所です。しかし、それは苦しい現実を渋々我慢しなさいということではありません。浄土往生をする身にして頂いた人生は、阿弥陀仏より与えられた人生です。どんな人生であってもそれは、阿弥陀仏から与えられた人生ですから、命の限り生き抜いてください。浄土に向かう人生はむなしくすぐるものではありません。」


目次(抜粋)
南無阿弥陀仏と称えても何も変わりません。信心とはこんなものでしょうか?
・「助ける法」を聞くと「で?」と言ってしまう構造について
阿弥陀仏の救いは現実の人生の苦しみに対しては無力?
・念仏よりも信心が大事なのでは?
阿弥陀仏に「お願い」するのは間違い?
・「信心獲得すというは、第十八の願をこころうるなり」とは?
・本願文の「唯除五逆誹謗正法」をどう読む?
阿弥陀様は「声の仏様」?
南無阿弥陀仏阿弥陀仏がつけて下さる私の名前です。
真宗人としての生き方とは?
・どう聞いても信心とはならないのですが…
阿弥陀仏に救われるとは、何かで心がある到達点にいたってはっとわかること?
・疑い無いのが信心と聞きますが、疑いとは何ですか?
・「そのままの救い」とは?
・すべての人を救う本願が成就しているのなら、私も救われていてもよさそうですが…
・信心決定すれば「本当の幸せ」になれますか?
・救われないけれど聞法をやめるにやめられません
・疑い晴らすのも、信じさせるのも阿弥陀仏のお力ならば、なぜ今自分は救われていないのでしょうか?
・現在、南無阿弥陀仏と称えて聞いていますが、これは信心なのですか?




他力=阿弥陀仏の本願力

 「他力」という言葉は、本来、「阿弥陀仏の本願力」を意味する。本来、と断ったのは、ふつうは「他力」をそのような意味で使うことがないからだ。よほど自覚的な、浄土宗や浄土真宗の信者でない限り、今では「他力」を本来の意味で用いることはない。
 たとえば、「他力本願」も、もっぱら他人をあてにする行為で、「棚からぼた餅」と同じ意味である。なにごとにせよ、自らの努力によって人生を切り開くことがのぞましいと考えられている現代では、「他力」はそうした努力を放棄した、敗北者か怠け者の、言いぐさと映る。
選択本願念仏集 法然の教え 阿満利麿  角川文庫 P274より】


残念なことに、
「他力」という言葉が、本来の意味合いとは全く違った使われ方がなされています。国語辞書においても、2番目に、仏語として紹介されているのが現状です。
このように、「他力」本来の意味が薄れてきている背景として 、お念仏を称えるひとが少なくなってきている現状があるのでしょう。
他力は、『阿弥陀仏の本願力』という意味であって、思いがけない幸運が舞い込むといった
「棚からぼた餅」的意味合いではありません。


他力
1  自分以外のものの力。他人の助力。⇔自力。
2  仏語。衆生(しゅじょう)を悟りに導く仏・菩薩(ぼさつ)の力。仏・菩薩の加護。特に、浄土門で、一切の衆生を救おうと発願した阿弥陀仏の力。弥陀の本願の力。⇔自力。
【国語辞書 goo辞書より】



他力の解説がされています。
下記リンクを貼付けました。どうぞ〜


他力(本文)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%96%E5%8A%9B


他力(ノート)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BB%96%E5%8A%9B